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意図するところは・・・

結論は、安全への「隙間を埋める」事です。

 

地域には、自主防災と自主防犯の存在があります。

 

実は、自主防犯というのは、自主防災に比べ、早期に立ち上げられている地域が多く、「人の目=監視の目」の重要性はもうご存じなんです。

ただ、行ってる人たちに預けてしまうという悪いところもあって、そこに暮らす全員が行えていない事が「大穴」なんですね。

 

しかも日本の悪いところは、110番と119番が区分されていること。

 

これが弊害があって、自主防犯と自主防災に分かれてしまうってことなんですね。

 

ところが、自主防犯と自主防災って、おそらく動いている方々は兼任者が多いんじゃないですか?

 

これも弊害!

 

人の数が増えないのです。

 

多くの方が関わっていくことで、その人数は増えていくわけですよね。

 

それを完全に振り分けるのならばいいのですが、同じメンツで組織されては立ち位置に弊害が出てくるんです。

 それが見えてきたので、「警察」と「消防」の垣根を越えて動ける活動枠が必要だ!!と感じたんです。

1995年「阪神淡路大震災」

必要性を感じ取ったのが1995年の阪神淡路大震災です。

当時、救助検索を優先するも、店舗荒らしや金品窃盗には警戒のスタイルをとれるほどの余裕がなかったこと。

 

ひとたび避難してしまうと、町全体への安全配慮に気が回らなくなっていた。

ここが盲点で、細かい活動者それも専任活動者が居ないと、人手も不足して四六時中監視する事も出来なくなるのです。

また、災害発生後に集まる他の地域の活動者だけでは地理的にも不安全になるので、地元をご存じの住民とコンビを組んだりと、地元の方が船頭役として君臨する必要が出てくるんですね。

 

なんといっても平時から動いていて「正常を知っている事で異常を察知できる」んです。